2010.09.30 Thursday
今日も秋のご機嫌はななめ
一昨日の夕方からの晴れ間はあっという間にまた雲に隠れちゃいました。
もう止んだけど、一日中雨降り。
秋の虫の声を聞きながら、自らの無知不明を感じました。
秋の虫の声、聞き分けられますか。俺はスズムシとコオロギしかわかりません。
さて、読書の秋ってことで本でも何か読もうかと、太宰治の『斜陽』を読み返すことにしました。
今の幼稚園児が生まれるよりもっと昔に、少し読んだことあったと思うんですが、確か挫折したのです。
当時の俺は今より文章に対する好き嫌いが激しくて、太宰作品はみな読めませんでした。
今、読み始めてみたらツラツラいけちゃいそうです。
今までで最も読めなかったのは三島由紀夫です。内容を把握できるほど読み進めることはできなかったし、内容以前に文章を読むだけで、なんだか心のうちの開けちゃいけない部分を垣間見るような感じがして、まったく進みませんでした。
なぜに今、斜陽を読み始めたのかと言うと、szpilmanで斜陽って曲やってるから、っていうひどい理由です。
でも斜陽って曲やってる人が、斜陽まともに読み切ったこともないなんて、なんだか嫌だ、と思いまして。
斜陽の他にも、時間作って夏目漱石の『こころ』を読み返そうかと思っています。こちらは中学以来ぶりです。
どちらも内容の記憶なんてほとんどないから、新作のように読めちゃいます。
あと、論語を同時進行で読んでます。素晴らしいですね。あれほどに豊かな心を書に残した人が、こんなに昔から存在しているってことに感動します。
俺の読書の良くないとこなんですが、読んで、何かを感じて、でも少し経つとほとんどすっかり内容も感じたことも忘れてしまうんですよね。
物語を読んで、中身にかぶれてしまう人っていますが、そういうのも時には大事なんだろうなと思います。そうすることで、本を読んだときの気持ちとかが身に染みたり、忘れずにいれたりできるんじゃないかなって。
明日は水戸Lighthouseに、TOYのライブを見に行きたいなと思ってます。久しぶりだから楽しみ。
「生まれる前から変わらぬこと」
俺が生まれる前から変わらず、海はずっと海という存在を全うしてきたのだろう。と、荒れた海を見ながら訳の分からないことを考えていました。
今日で9月も終わり、良い10月になるよう明日を良い日にしたいと思います。
それでは。
もう止んだけど、一日中雨降り。
秋の虫の声を聞きながら、自らの無知不明を感じました。
秋の虫の声、聞き分けられますか。俺はスズムシとコオロギしかわかりません。
さて、読書の秋ってことで本でも何か読もうかと、太宰治の『斜陽』を読み返すことにしました。
今の幼稚園児が生まれるよりもっと昔に、少し読んだことあったと思うんですが、確か挫折したのです。
当時の俺は今より文章に対する好き嫌いが激しくて、太宰作品はみな読めませんでした。
今、読み始めてみたらツラツラいけちゃいそうです。
今までで最も読めなかったのは三島由紀夫です。内容を把握できるほど読み進めることはできなかったし、内容以前に文章を読むだけで、なんだか心のうちの開けちゃいけない部分を垣間見るような感じがして、まったく進みませんでした。
なぜに今、斜陽を読み始めたのかと言うと、szpilmanで斜陽って曲やってるから、っていうひどい理由です。
でも斜陽って曲やってる人が、斜陽まともに読み切ったこともないなんて、なんだか嫌だ、と思いまして。
斜陽の他にも、時間作って夏目漱石の『こころ』を読み返そうかと思っています。こちらは中学以来ぶりです。
どちらも内容の記憶なんてほとんどないから、新作のように読めちゃいます。
あと、論語を同時進行で読んでます。素晴らしいですね。あれほどに豊かな心を書に残した人が、こんなに昔から存在しているってことに感動します。
俺の読書の良くないとこなんですが、読んで、何かを感じて、でも少し経つとほとんどすっかり内容も感じたことも忘れてしまうんですよね。
物語を読んで、中身にかぶれてしまう人っていますが、そういうのも時には大事なんだろうなと思います。そうすることで、本を読んだときの気持ちとかが身に染みたり、忘れずにいれたりできるんじゃないかなって。
明日は水戸Lighthouseに、TOYのライブを見に行きたいなと思ってます。久しぶりだから楽しみ。
「生まれる前から変わらぬこと」
俺が生まれる前から変わらず、海はずっと海という存在を全うしてきたのだろう。と、荒れた海を見ながら訳の分からないことを考えていました。
今日で9月も終わり、良い10月になるよう明日を良い日にしたいと思います。
それでは。